結婚式がバカバカしい、あほらしいと感じることってありますよね。私も結婚式を挙げた経験がありますが、準備中も当日も「これって本当に必要なの?」と、ふと熱が冷める瞬間があったのは事実です。
結論だけをまとめると……
- 結婚式に違和感を感じるのは珍しいことではない
- 「バカバカしい」と思うことは冷たい人間性の表れではなく個人の感性
- 自分らしい選択として代替案や簡略化した方法も充実している
「でも、みんな結婚式を挙げてるし、親も喜ぶから…」と悩んでいませんか?大丈夫です!この記事では、同じ気持ちを抱える人のために、その感情の理解と選択肢について詳しくお話しします。
華やかな式に憧れる人がいる一方で、その形式や慣習に疑問を感じる人がいるのはごく自然なこと。自分の価値観に素直になって、二人らしい形を見つけていきましょう。
結婚式がバカバカしい、あほらしいと感じる理由
「結婚指輪交換」「ケーキカット」「ブーケトス」…これって本当に私たちがやりたいことなの?という疑問。結婚という人生の大きな節目を祝う方法として、なぜか定型化されたセレモニーに違和感を覚える人は少なくありません。
私も結婚式の準備中、「これって誰のための儀式なんだろう?」と何度も考えました。特に感じたのは以下のような違和感です。
- 高額な費用対効果への疑問
- 形式に縛られた不自由さ
- 準備の煩雑さと心理的負担
- 価値観の世代間ギャップ
それぞれの項目について、多くの人が抱く疑問の本質を掘り下げてみましょう。
高額な費用対効果への疑問
結婚式にかかる費用は平均で300〜400万円とも言われています。たった一日のイベントにマイカー一台分のお金をかけることに、合理的な説明ができますか?私の友人は

このお金があれば新婚旅行を豪華にしたり、家具を揃えたりできるのに
と嘆いていました。
さらに親族からの援助があるとしても、それが心理的な負債感につながることも。親が出してくれるからと言って、本当にその使い方が最善なのか考えさせられます。
ゲスト側の視点でも、祝儀や衣装代、交通費などの出費は決して小さくありません。特に繁忙期には複数の結婚式が重なり、経済的負担が大きくなることも珍しくないのです。
形だけの儀式のために、双方に経済的負担を強いる仕組みに、違和感を覚えるのは自然なことと言えるでしょう。
形式に縛られた不自由さ
「こうあるべき」という既存の型に自分たちの思いを押し込めなければならない不自由さ。挙式のスタイルからスピーチの内容、おもてなしの方法まで、「結婚式あるある」と呼ばれる定型パターンに従うことに窮屈さを感じる人も多いです。
特に日本の結婚式は「忌み言葉」への配慮など、細かいルールが多く存在します。「切る」「別れる」などの言葉を避けるために、言い回しに気を遣うことに疲れてしまうことも。
また、ゲストとの関係性によって席次を決めたり、つながりの薄い親戚まで招待せざるを得なかったりと、人間関係の調整にも神経を使います。
本来は二人の新しい門出を祝う場なのに、周囲への配慮や体裁のために、自分たちの希望が後回しになることへの違和感。これが「バカバカしい」と感じる大きな要因の一つになっているようです。
準備の煩雑さと心理的負担
結婚式の準備は想像以上に複雑で、時間も労力も必要です。会場選び、招待状作成、引き出物選定、ドレス選び…リストは際限なく続きます。
私の場合、新郎は「何でもいいよ、君に任せる」というスタンスでしたが、これが逆にストレスになりました。二人の門出のはずが、一人で全責任を背負う形になってしまったからです。
また、当日のスピーチや入場など、人前で注目を浴びることへの心理的ハードルも高いもの。内向的な性格の人にとっては、大勢の前でのセレモニーそのものが大きなプレッシャーになります。
雑誌やSNSでは「最高の一日」が強調されますが、準備段階での疲労や不安を考えると、その「一日」のためにかける労力が釣り合わないと感じるのも不思議ではありません。
価値観の世代間ギャップ
親世代と現代の若者との間には、結婚式に対する価値観の大きな隔たりがあります。年配者にとっては「一生に一度の晴れ舞台」「家と家との結びつき」という側面が強いのに対し、若い世代は「二人の門出を祝う個人的なイベント」と捉える傾向があります。
ドライフラワーが「枯れる」を連想させるため避けるべきとか、料理の数や種類に細かい決まりがあるなど、理屈よりも慣習を重んじる考え方に、合理性を求める若い世代は違和感を覚えがちです。
私の結婚式でも、親が「親族への顔向け」を理由に譲れない部分がいくつかあり、板挟みになった経験があります。相手の親族との初対面の場が結婚式というケースも多く、そうした緊張感も「バカバカしさ」を増幅させる要因になるでしょう。
時代の変化とともに、結婚式の意義や形も変わっていくべきなのに、古い慣習にとらわれることへの疑問。これも多くの人が感じる「あほらしさ」の源泉となっています。
結婚式がバカバカしい、あほらしいと思う私は冷たい人間?
「結婚式って感動的なはずなのに、私だけ心が動かないのかな」「みんなが喜んでいるのに、私だけつまらないと感じるなんて、私の心に問題があるのかも」—そんな不安を抱いたことはありませんか?
結婚式に違和感を覚えることと、人間性の冷たさは本質的に無関係です。それは単に価値観や感性の問題であり、人間性を測る物差しではありません。
どうしてかというと……
- 異なる感動ポイントの存在
- 形式より本質を重視する傾向
- 内向的な性格と儀式の相性
- 「正しい」反応の押し付けへの抵抗
それでは、なぜ結婚式への違和感が「冷たさ」と誤解されがちなのか、その背景を探ってみましょう。
異なる感動ポイントの存在
人それぞれに「心が動くポイント」は異なります。華やかな演出に感動する人もいれば、日常の些細な思いやりに心を打たれる人もいるでしょう。
私の場合、友人の結婚式で一番心に残ったのは、豪華な演出や衣装ではなく、式の合間に見た新郎の緊張した表情と新婦を見つめる優しいまなざしでした。つまり、公式の「感動シーン」ではなく、偶然目にした自然な瞬間に心を動かされたのです。
結婚式という形式に対して「バカバカしい」と感じることと、二人の幸せを祝福する気持ちは別物。形式に違和感があっても、その本質—二人の新しい出発—を心から応援することはできるのです。
感動のツボが違うだけで、あなたの心が冷たいわけではありません。むしろ、既製品のような形式に疑問を感じるのは、より本質的な価値を大切にしている証拠かもしれません。
形式より本質を重視する傾向
結婚式に違和感を覚える人の多くは、形式よりも本質を重視する傾向があります。「なぜこの儀式が必要なのか」「この習慣に意味はあるのか」と問いかける姿勢は、むしろ思慮深さの表れとも言えるでしょう。
例えば、友人は

派手な結婚式より、毎日の生活の中で互いを大切にできる関係を築きたい
と言い、結婚式を最小限にしました。これは冷たさではなく、二人の関係性における本質的な価値を見極める姿勢ではないでしょうか。
また、形式にとらわれず「自分たちらしさ」を追求する姿勢は、周囲の期待や社会的慣習に流されない強さの表れでもあります。
結婚式という形式への疑問は、むしろ「本当に大切なことは何か」を考える誠実さから生まれているのかもしれません。形だけの儀式よりも、日々の信頼関係を重視する姿勢。それは決して冷たさではなく、愛情表現の別の形と言えるでしょう。
内向的な性格と儀式の相性
人前でのパフォーマンスや注目を浴びることに苦手意識がある内向的な人にとって、結婚式は本質的にストレスフルなイベントになりがちです。
私も内向的な性格で、自分の結婚式では「大勢の前で誓いの言葉を述べる」「スポットライトを浴びながら入場する」といった場面に強い緊張を感じました。それでいて、そうした感情を表に出せば「せっかくの晴れ舞台なのに」と周囲を落胆させてしまう。この板挟み状態が「バカバカしさ」をさらに増幅させることも。
内向的な性格の人が大勢の前での儀式に違和感を覚えることは自然なことで、それは人間性の冷たさとは無関係です。むしろ、親しい少人数との深い交流を大切にする傾向があり、それは別の形での温かさと言えるでしょう。
感情表現の方法は人それぞれ。派手なパフォーマンスを好まないからといって、感情が薄いわけではないのです。
「正しい」反応の押し付けへの抵抗
社会には「結婚式では感動すべき」「花嫁の姿を見たら涙するのが普通」といった暗黙の期待があります。しかし、感情は他者から強制されるものではなく、自然に湧き上がるものです。
「感動していないふりをする」よりも「自分の正直な感情を認める」方が、よほど誠実な姿勢ではないでしょうか。その意味では、既存の形式に疑問を投げかける姿勢は、自分自身に対する誠実さの表れとも言えます。
私の友人は

泣けないと思われたくなくて、結婚式で無理に涙を作った
と後に告白していました。こうした「正しい反応」への同調圧力こそが、本当の感情を抑圧する冷たさを生み出すのではないでしょうか。
結論として、結婚式への違和感は冷たさの表れではなく、むしろ自分自身の価値観や感性に忠実である証拠かもしれません。大切なのは、自分の感覚を否定せず、同時に他者の選択も尊重する姿勢ではないでしょうか。
結婚式をバカバカしい、あほらしいと思う人の逃げ道や代替案
「結婚式はしたくないけど、何か形に残るものは欲しい…」「親族には報告したいけど、大げさなセレモニーは避けたい…」そんな思いを抱えている人は少なくありません。
結婚を祝う方法は、従来の結婚式だけではありません。自分たちらしさを大切にした、より自由で柔軟な選択肢がたくさんありますよ。
その具体的な方法がこちら。
- 最小限の労力で最大限の満足を得る方法
- 二人だけの特別な思い出を作る選択肢
- 周囲との折り合いをつけるバランス戦略
- 後悔しない決断のためのプロセス
それでは、結婚式に違和感を感じる人が選べる具体的な代替案を見ていきましょう。
最小限の労力で最大限の満足を得る方法
従来の結婚式の負担を軽減しながらも、特別な記念になる選択肢はいくつもあります。
フォトウェディングは、結婚式の儀式部分をスキップして写真撮影だけを行うスタイル。ドレスや和装を着て、プロのカメラマンに撮影してもらうことで、形に残る思い出が作れます。費用も通常の結婚式の3分の1程度で済むことが多く、準備の手間も大幅に削減できるメリットがあります。
また、少人数婚も人気の選択肢です。親族や親しい友人だけの10人程度で行う小規模な式は、アットホームな雰囲気で緊張感も少なく、一人あたりにかける時間や気持ちも充実させられます。レストランを貸し切ったり、ゲストハウスの一室を利用したりと、場所も自由に選べるのが魅力です。
私の友人カップルは、二人の趣味である山登りにちなんで、山頂で家族だけを招いた簡素な儀式を行いました。その後、山小屋でのささやかな食事会。「これこそ私たちらしい」と二人とも大満足だったそうです。
形式ばらない方法でも、心に残る記念になることは間違いありません。むしろ「自分たちらしさ」を反映させることで、より特別な思い出になるでしょう。
二人だけの特別な思い出を作る選択肢
他者の視線や期待から完全に解放されて、二人だけの特別な記念を作る方法もあります。
ハネムーン(新婚旅行)を重視し、結婚式の代わりにリゾート地や憧れの国への特別な旅行を計画する選択肢。これなら結婚式にかかるはずだった費用を、二人の思い出作りに直接投資できます。
旅先でのフォトツアーを組み込めば、結婚の記念写真も残せますし、現地での特別な体験(例:サンセットクルーズでの乾杯、アクティビティなど)が二人だけの結婚式代わりになることも。
また、結婚指輪以外にも、二人の記念になるオリジナルアイテムを作る方法もあります。共同制作のアート作品や、二人の思い出の写真をまとめたフォトブック、あるいは二人の歴史を綴った手作り動画など、形に残る「二人だけの宝物」を作るのも素敵です。
私の従姉妹は結婚を機に、二人でアメリカ横断ドライブを敢行。各地で撮影した写真と旅の記録をウェブサイトにまとめ、それを親族や友人に共有することで、結婚の報告としました。彼らにとっては、その旅そのものが結婚式だったと言えるでしょう。
周囲との折り合いをつけるバランス戦略
自分たちの希望と周囲の期待の間でバランスを取る方法も考えてみましょう。
親族向けに最小限の「報告会」を行いつつ、友人とは別のカジュアルな場で祝う「分離戦略」も効果的です。いわゆる「1.5次会」という形で、結婚の報告と祝いを兼ねたカジュアルなパーティーを開催する人も増えています。
私の同僚は、親族には日帰りの食事会で報告し、友人たちには後日、カジュアルなバーベキューパーティーを開いて祝ってもらいました。「それぞれの関係性に合わせた形で祝えて、みんなが楽しめた」と満足していました。
また、親が結婚式にこだわる場合は、限定的な妥協案を提示するのも一つの手です。例えば「挙式は行うが披露宴はしない」「親族だけの食事会に限定する」など、部分的に希望を取り入れることで、全面対立を避けられることも。
大切なのは、自分たちの本当の希望を明確にし、何が譲れて何が譲れないかを事前に話し合っておくこと。そのうえで周囲との対話を心がければ、多くの場合、双方が納得できる落としどころが見つかるものです。
後悔しない決断のためのプロセス
どのような選択をするにしても、後悔しない決断をするためのプロセスが重要です。
まず、二人で時間をかけて「結婚式に対する本音」を話し合いましょう。何に違和感を覚えるのか、どんな形なら心から喜べるのか、率直に意見を交換することが出発点です。
次に、親や周囲の期待を理解するための対話も必要です。「なぜ結婚式を望むのか」その背景にある思いを知ることで、折り合いをつけるヒントが見つかることも少なくありません。
私の友人は両親との対話で「家族としての節目を祝いたい」という親の思いを知り、

だったら「家族だけの食事会」という形でその気持ちに応えるのはどうかな?
と提案。結果的に少人数での温かな会になり、双方が満足できたそうです。
また、様々な選択肢を比較検討する際は、「10年後に振り返ってどう感じるか」という長期的視点も大切です。その日だけの感情ではなく、長い目で見て納得できる選択を心がけましょう。
結婚式に対する違和感は、決して否定すべきものではありません。むしろ「自分たちらしい形は何か」を深く考えるきっかけとして、その感覚を大切にしてください。形式にとらわれず、二人の新しい出発にふさわしい、心から納得できる選択をすることが何より重要なのですから。
結婚式はバカバカしい、あほらしいのまとめ
結婚式に対して「バカバカしい」「あほらしい」と感じる気持ち。それは決して特異なものではなく、多くの人が密かに抱いている感覚かもしれません。
この記事では、そうした違和感の正体と向き合い方、そして代替となる選択肢について考えてきました。振り返ってみると、結婚式への違和感は単なる否定的な感情ではなく、「自分たちらしさとは何か」を問い直す貴重な機会とも言えるでしょう。
- 結婚式に違和感を感じるのは珍しいことではなく、費用対効果や形式への疑問など合理的な理由がある
- 結婚式がバカバカしいと感じることは冷たい人間性の表れではなく、むしろ本質を重視する姿勢の表れとも言える
- 従来の結婚式以外にも、フォトウェディングや少人数婚、特別な旅行など、自分たちらしい選択肢は豊富に存在する
結婚式はバカバカしい、あほらしいと感じることを否定する必要はありません。大切なのは、その感覚を認めたうえで、二人の新しい門出をどう祝いたいかを真摯に考えること。
形式や慣習にとらわれず、自分たちの価値観に素直になって選択することが、結局は周囲の人々にとっても嬉しいことなのではないでしょうか。
あなたらしい選択が、かけがえのない思い出となりますように。そして何より、形にとらわれない幸せな日々が続きますように。
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